つれづれ手帖

アラフォー。純ジャパ。国際結婚。

「察せよ」とは土台無理な話

わたしのダメなところのひとつは、大事なことほど言葉に出して言えない(好きな人に好きだと言えない)、ということ。

遡ること30年余り前。
あれは確かバレンタインの頃だった。子供が子供にチョコレートをあげるとなると、当然親同士を巻き込むことになる。
わたしには本命の男の子がいた。
当時モテモテだったイケメンシュンくん(仮名)である。

しかしわたしは「シュンくんが好きだからチョコレートをあげたい」と母に言うことができず、なぜだかそこでガキ大将として名高いコウちゃん(仮名)の名前を挙げたのである。

今思い返してみても、その行動に寸分のメリットも感じられないが、それは若干5歳のわたしの苦肉の策(?)であった。

さて、娘の恋路を知った母はそりゃもう嬉々として、コウちゃんにあげるチョコレートを一緒に手作りしてくれた。

そして、わたしの嘘はコウちゃんママに筒抜けし、コウちゃんに伝わり、コウちゃんとななんだかとても気まずい雰囲気になってしまった。

と言うのも、コウちゃんはわたしのことが本当に好きだったのである。

 

保育園児だったからよかったものの、これが10代だったら学校に行けなくなるし、大人だったら切腹ものである。
今でもバレンタインの時期になるとこのことを思い出して、ちょっとだけ胸がシクシクと痛む。

まだ小さな子供だったから、コウちゃんとはそのあとも遊んでいたけれど、小学生になって少しずつその意味がお互いわかるようになってきたころから、コウちゃんはわたしと話をしてくれなくなった。

 

傷つくことの痛さを知らないそんな小さなころから、どうしてわたしは本当の気持ちが言えなかったのか、今となっては本当に謎である。いたって普通の家庭に生まれ、のほほんと育ってきたことは自覚しているのだが。

とにかくわたしの拗らせ遍歴は相当長い。生粋である。混じりっけなし。

 

さて。話を現代に戻そう。
そんなわけで、好きな人に好きだと言えない人生が長く続いたわたしだが、幸か不幸か今の彼はイギリス人で、日本に古くから伝わる「察する」という独特のコミュニケーションが通用しない。

もちろん、彼はバカではないので空気は読む。
がしかし「言わなくてもわかるでしょ」というのが理解できないのである。

 

好きだから好き、何度でも伝えたい。

いたってシンプル。
わかるよ、わかってるよ。
しかし、英語でもなかなかハードルが高い。
彼以外誰もいないのだから、何を恥ずかしがることがある?とは思う。
がしかし、30年以上続くこの鉄壁の拗らせは、なかなかそう簡単に雪解けとはいかず…。

そういうわけで今、少しずつリハビリ中なのである。