つれづれ手帖

アラフォー。純ジャパ。国際結婚。

わたしが猛省している理由

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夫は仕事のかたわらで、作家活動(アート)をしている。
わたしが彼のことをもっと知りたいと思ったのも、彼のパーソナリティはもちろんだが、その作品がきっかけだった。
仕事ではないので、今は夫のペースで、夫がやりたいように作品を作り続けている。

 

自宅から車で30分程度走ったところで、いろんな作家の展示が見られるアートフェスが開催されていて、夫と二人で見に行くことにした。
夫と美術館などに行くと、夫のペースがあまりにもゆっくりで、わたしはいつも夫を振り返りながら足を進めることになる。
夫の見ている視点が凡人のわたしとはまったく違っていて、わたしが首をひねる作品でも夫は何か感銘を受けていたり、わたしの目にはとまらなかった作品の前で立ち止まっていたりする。

 

 

 

なんでもそうだが、新しいものを始めるときにそれがあまりに新しいもので、誰もそれを見たことがなかったら、人は拒否反応を示してしまう。
ライト兄弟も、エジソンスティーブ・ジョブスも、何言ってんだとバカにされてきたであろう。
新しいことは、誰も知り得ないからこそ新しい。
だけど見たことがないから想像ができない。
ゆえに相手にされない。
開口一番「いいね」と言われるのは、実はどこかで見たことがあるものがほとんどなのだ。

 

アートは自由だ。そのはずである。
だけど自由ではないことも、すごくたくさんある。
キュレーターに認められなければ、個展はできない。
だけど、キュレーターに認められたら、大きなところで個展ができるかもしれない。

 

なんでこんなことを書いているかと言うと、わたしは今猛烈に反省しているからだ。
今日作品を見て、なおさら反省の念は募った。


この間夫は、夫の新しいプロジェクトをお世話になっているキュレーターふたりに見せた。

実はそれらはまだ未完成で途中経過だったのだが、夫はレジュメを作り、いくつかの作品を添えて彼らに渡したのだった。

彼らが言ったのは「前の作品の方が分かりやすくていいんじゃない」という言葉。
それは一度賞を受賞したことのあるプロジェクトを指していた。

それを聞いて、わたしは夫に「前の作品みたいなものを作ればいいじゃん」と言ったのだった。

冒頭にも書いたが、夫のアート活動は仕事ではない。
なのにわたしは、誰かに求められるものを作るべきだと夫に言ってしまった。


だからわたしは今、猛烈に反省している。
斬新なアイデアの数々を目にして、夫のそれを「前のアレにしなよ。評価されたし」なんて軽々しく口にしてしまったことを、後悔しているのだった。