夫に感謝していること
わたしは夫に出会う前、ある男性を追いかけていた。
今思えば好きでもなんでもなかったのかもしれないが、その当時はなぜか彼に固執していた。
わたしは昔からインテリな人を好きになる傾向があり、どこか偏屈でこだわりが強く、芸術家肌でなんか影のあるような人にいつも惹かれた。
羅列してみると、こんな要素を持つ人が結婚に向くとはまったく考えにくい上に、自分が安らげるとは思えないなんてことは容易に想像がつくのだが、まぁ若気の至りってことで(若くないけど)。
その人はとにかくめんどくさい人だった。
自分から会話を広げようと努力するタイプでもなかったし、話を振ってもラリーは続かない。
趣味もなく、外には出歩かない。
ご飯を食べに行ったら、自分が食べる分はさっさと自分でよそって食べ始めるし、どこかへ出かけても、自分のペースでさっさと歩いてしまうような人だった。
それでも、なぜかその人に固執していたわたしは、どうにか話を続けようとがんばったし、自分からどんどん次の誘いを申し出た。
その人はわたしの誘いは絶対断らなかった。
断る口実にありがちな「予定確認してまた連絡する」なんてことも言わなかったし、わたしが誘うとその場で次の予定は決まった。
だからこそ、会話が盛り上がらなくても次こそは、いや次こそは、と思えたのかもしれない。
あるとき、わたしは意を決してわたしのことをどう思っているのか尋ねた。
その人は「…友達」と言った。
拍子抜けである。
いやいや!友達とだったら、悪いけどもっと会話が楽しいし、盛り上がるわ!!
それに友達とだったら、次に何話そうって考えもしない。それは無意識に、泉のように湧いてくる。
友達ってそういうものでしょうよ。
そのとき、ふと、わたしはなんでこの人と付き合いたかったのかな?って思う冷静な自分と目があった。
わたしの問いの真意に気づいていながら、ただ「友達」とだけ答えて振ることも受け入れることもせず逃げるような人に、なぜ。
そんなことがあって、これまでの時間を払拭すべく、いろんなことを一新したあと、わたしは今の夫に出会った。
彼は日本人ではないけど、ものすごくスムーズにことが進んだ。
嘘みたいに仲良くなった。
その人とは1年以上自分なりに頑張っても進展がなかったのに、夫とは1日足らずでその人との関係をゆうに超えた。
自分のこともたくさん話せたし、彼の話もたくさん聞いた。
ある日、江ノ電に乗って、狭い道や湘南の海を眺めるだけのデートをした。ものすごく楽しかった。
よく知った景色が、嘘みたいに違って見えた。
それに、そのイギリス人がわたしの実家にいるところが容易に想像できた。
純和風の、普通の一般家庭に馴染む予感がありありとしたのだ。不思議である。
そう言えば、その人とは1mmも想像できなかったな、なんて思った。
日本人で、コミュニケーションの心配なんて要らなかったはずなのに、わたしの両親と談笑してる姿なんて思い浮かべることも、妄想することすら無理だった。
想像できることは、わたしが引くくらいに気を使っていることだけだった。
結局のところ、人との縁というのはそういう風に突然やってくるのだろう。
人は笑うかもしれないが、神様が見ていてくれたと信じている。
わたしに夫をプレゼントしてくれた神様。
そのくらい、夫と出会えたことに心から感謝しているのだった。
努力して頑張って無理してその人をどうこうするのは、わたしにはハードルが高すぎた。
この人を幸せにしたい、という気持ちがわたしには少なすぎた。
わたしはそれを途中で諦めた。
たぶん、そんなに好きじゃなかったのだろう。
その程度だった、のかもしれない。
さて。
夫はわたしの予想通り、わたしの家族と嘘みたいにすぐ馴染んだ。
心配していた気むずかしい父も、瞬殺だった。
この人たらし!と何度も思って、うれしくてニヤニヤした。
その人たらしを見ながら、この人と結婚して、この人が家族になってくれて、本当によかったと思った。
そうしてわたしは、夫がわたしと家族を笑顔にしてくれたことに、いつも感謝しているのだった。